black_grass's diary

仕事のメモや情報収集など

川上健次郎さんライブ

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 昨夜は川上健次郎さんのライブを観に高円寺の無力無善寺というライブハウスに行った。高円寺と阿佐ヶ谷の間のガート下にある小さい店で、十数年前の開店直後に何度か来たことがあった。久しぶりにむげん堂の横から高円寺のガード下をタブチのあたりまで歩いて、その独特な光景と、その中でもひときわ得体のしれない無力無善寺の店構えにたじろぎつつも、懐かしい。狭くて椅子もほとんどなく、壁にはお経や難解な言葉が書かれた紙が隙間なく貼られている店内で川上健次郎さんの歌を聴いていると、だんだん以前来た頃の記憶がよみがえってきて、ああ俺はこのへんをぶらぶらしてたんだよなとあらためて実感する。あの頃僕は高円寺や阿佐ヶ谷に住んでいて、普段遊ぶ友達も仕事の仲間も皆「だめ連界隈、中野高円寺早稲田系」の人たちだったので、精神的にしんどい人たち(当時は「こころ系」の人たちって言葉を使ってた)のフリースペースだか飲み屋だかができたから行ってみようよと神長さんかなんかと一緒に遊びに来たんだと思う。なにしろ少しでも解放的な場があって、そこで誰かと交流できると聞きつけると、とりあえず足を運んでぐだぐだするというのが当時の日常だったので、無力無善寺のような世の中ではすごく特殊な店も、当時の僕には地域的にも文化的にもわりと身近なものとして位置していた。そんなことを思っていると、ああこんな人がいたなと何人もの昔の友人知人が頭に浮かんだが、今はほとんど連絡もとれないし、何人かはもうこの世にはいない。その後の十数年いろいろとあって、今自分はあの頃とは違う地域で違う仲間たちと暮らしている。でも世田谷の障害者福祉と関わる中で横山さんや上田さんやゆうじさんと知り合い、川上健次郎さんというシンガーに出会い、彼のライブが観たくて追いかけた先が高円寺の無力無善寺だったりするわけだから、きっとこの先また再び僕らは出会うだろう。
 懐かしい気持ちでライブの後に川上さんとトーク。川上さんは上京して間もない2003年頃、早稲田のライブハウスを通して「あかね」にも出入りしてたそうで、俺昔店員やったりしましたよと話すうちに、あかねを作った究極Q太郎さんだけは懐かしむだけじゃなくて本当に会いたくなって、店主である無善法師さんに消息を尋ねるもここ何年も会ってないし連絡もとれないとのこと。究極さんは金井康治さんの支援もしていた方で、僕が障害者福祉に本腰を入れるきっかけになった人でもある。感謝の気持ちを伝えたい人に会えないのは寂しい。謝りたい人にもね。
 だめ連界隈で遊んでた頃、無力無善寺が開店した頃、90年代はインターネットが普及してなくて、社会に閉塞感がすごく強くて、学校も職場も多様性がなくて、一旦ドロップアウトして孤立した人間が引きこもっていると、寂しくてつらくてこじらせてしまうという時代だった。だからだめ連界隈で交流しているとそういう場には、人付き合いが下手だけど切に人との交流を求めている人たちが集まっていた。今思うとあれは、部屋のドアを開けて外に出ないと他人との交流ができなかった時代の最後の光景だったんだと思う。
 俺はインターネットマニアなのでその後の数年は日々進歩するインターネットの世界で毎日お祭り騒ぎだった。もうひとりで家にいても寂しいとは感じない。でも、あの寂しさ、あの人恋しさ、子供の頃から抱えていたあの孤独な気持は、奥の方に隠れているだけで、いつまでも心のなかに抱えている。みんな抱えているんだと思う。川上健次郎さんの歌を聴くと、いつもそんなことを思う。来月も第3月曜日に無力無善寺でライブなので楽しみだな。同じ日に出ている敬々さんという方の歌もすごくかっこよかった。それも楽しみ。

 

 この前のゆうじ屋でのライブの動画。重度脳性麻痺の平山さんがわめくなか、平山さんの恋の詩の朗読からアンサーソングへ。すごくよかった。
川上健次郎さん ラブソング、船酔い - YouTube

 

平山さんは平山さんでバンドやってるらしい。その名も脳性麻痺号。

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