black_grass's diary

仕事のメモや情報収集など

わかってしまったこと

 ここしばらく久しぶりにPCでTwitter観てタイムラインのリンクたどっていろいろ読んだりしてたのね、ブログ読んだりはてなB見てみたり。まあ久しぶりに見たけど、はてなは今日も平和ですねとしか。

 

 レイシストや在得会のデモにデモぶつけてケンカ売る連中いるじゃん、カウンター。新宿で飯食ってたら新宿通りを彼らのデモが通ったり、父親が知ってたり、知り合いの極左活動家のおじちゃんが見物参加してたりと、すでに俺の生活圏内で遭遇もしてる。

 ネットではどうなってんだろうと、野間何とかさんとかbcxなんとかさんとか、まあそれしか知らないんだけど、そのへんのTwitterがらみを読んでみた。すると今や彼らは数が結構たくさんいて、やりたい放題してる。それ見てると腹が立つのね。無性に腹が立つ。むかっときて連中の頭悪いtweet晒して馬鹿にしてるときりがないくらい、ほんとバカばっかり。コアには賢い人もいるんだけど、取り巻きは全員バカ。浅はかで何も考えてないぼんくらが何十人何百人といて。で、ふと気付いた。単なる衝動の発散だと。暴力の解放、快楽追求、ようするに肉の問題なのかと。身体の欲望のおもむくままに暴れてるのかと。

 そりゃ楽しいよね。気持ちいいだろうね。にんげんだもの。人権だの差別だのって大将が唱える立派な言葉に酔ってれば、それはそれは気持ちいいだろうね。暴力をさかなに詩人の言葉に酔い、群れで踊り狂う。最高だろうね。

  そこで、わかってしまった。

 俺はずっと障害者に関わってきた。障害福祉に従事し、障害者運動に参加してきた。最近では仕事と活動を限りなく一致させるために事業もはじめた。ふと思うときがある。俺はなぜこんなことをしているのだろう。理由を挙げればきりがない。ボスに惚れてるから、尊敬すべき障害者がたくさんいるから、人権は不断の努力で守るものだから、マイノリティの生活権や生存権が守られる社会の実現のため、正しいから、イエスが言ってたから、等々。すべて偽らざる本音だ。でも、それがすべてじゃない。熱くなれる。気持ちが盛り上がる。仲間と共に正しさを確信する瞬間の高揚。たのしくてしようがない。そこに快楽があることを俺は知っている。俺は間違いなく肉の要請に答えているのだ。ある側面から見れば、俺は彼らと同じことをしているのだ。

 彼らの欺瞞の構造と同じものを自分も抱えている。だからこそ見ていて腹が立ったのだろう。なるほど合点がいった。俺も同じ穴の貉だ。

 もちろん俺は決して暴力なんて振るわない。だが、俺の仲間たちには暴力も辞さない連中もいるし、暴力で社会を動かそうとしていた伝説の活動家たちとも付き合う。俺のボスは武闘派を自称するこの世界の顔だ。今月、ある親分が東京に来てボスと飲む予定なのだが、この親分は一世を風靡した過激派組織の幹部だった頃、バスジャック事件を起こし大々的に報道された。

 しかし恐れることはない、彼らは皆身体障害者だ。彼らの振るう暴力で傷つく者はいない。彼らには殺傷能力がないからだ。前科者もいない。座り込みや不法侵入程度では警察は障害者を捕まえないからだ。それ以上の実力行使は不可能なので、彼らの暴力はより大きい暴力に抑えつけらることがなく、敗北の経験がない。だからうちのボスは還暦直前の今でも武闘派だ。障害者運動には、殺傷能力を持たない者たちの暴力革命という流れが確かにあるのだ。俺はそこが好きなのだ。よくわかった。活動に参加する肉体的理由があるのだ。

 俺は己の暴力衝動やその発散をタブーとして抑えつけ、見えないふりをしていた。だがその歪みは欲動を認めることでいくらか解消するだろう。これが俺の肉体であり、これが俺だ。開き直りまた進む。欲望と不断の努力によって。

 

 

 

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

 

 今ヤクザの本読んでるんだけど、面白いんだよね。下世話に面白い。理屈では完全に否定すべきヤクザだが興味、好奇心、ちょっとした憧れという感情は否定できない。俺がDQNってだけかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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