black_grass's diary

仕事のメモや情報収集など

両親のこと 結婚のこと 昔のブログに書いたやつ

7年ほど前に書いたブログエントリ。今より幼いが素直に書けている。

 

 両親がどのような関係を築いていて、どのような愛情表現をし、二人の間の何を大切にしていて、どれだけ深い協力関係にあったか、って恋愛観とかカップル観とか結婚観に影響すると思う。少なくとも俺はかなりそのまま受け継いでる。うちの両親は二人とも物知りで会話好きで議論も嫌いではないし知的好奇心が強い。二人とも外国語のスペシャリストだが扱う言語は全然違う。

 

 父はドイツ語の翻訳家でフリーの編集者。読書家で知識が豊富、元々専攻は東洋哲学なので漢詩仏教関連の著述や編集もしていた。それほど社交的ではないが山岳部出身で根は勤勉なタイプの体育会系。何度かヒマラヤに挑戦しつつ、日本山岳会で図書を扱う活動なんかもしている。40から合気道をはじめ、今では段位を取得し袴を履いて地元の小学生の指導をしているらしい。合気道仲間には商店街の旦那さんも多く、父がこれまで交流したことがなかったタイプの友人ができ、中野合気道連盟の物書きのおじさんとして地域における認知も得たように思う。基本的に自分が訳したい本を翻訳している模様。翻訳は何十冊も出版しているし、長年書きたかったというテーマで自著も出版したし、とても幸福な仕事人生だと思う。本人もそう思ってるはず。そもそも素直な性格のお坊ちゃんが、無駄なストレスの少ない人生を送ってるから本当におめでたい感じ。単純なことで凄くうれしそうにしてるしね。煮麺がうまいとか、湯豆腐がうまいとか。最近は憲法九条の改正に反対する活動に参加しているらしく、たまにデモなんかもしてるそうだ。そもそも学生運動で1960年に一度逮捕されたことのある前科者。しかし取り調べには完黙を貫いたと自慢げに語っているので全く反省はしていない。むしろ誇りに思っているようだ。なんというかおめでたいというかしあわせな人だと思う。歌がとても上手くて作曲もする。シャンソンとか好き。良い声だ。

 

石と笛〈1〉

石と笛〈1〉

 

 

裸の山 ナンガ・パルバート

裸の山 ナンガ・パルバート

 

 

 母はチェコ語の通訳をしている。母も学生運動には参加していたのだが逮捕されるようなことはなく、むしろその運動は勝利しないし、そもそも欺瞞的な部分もあるという認識だったらしい。オルグにも飽きてきた頃全学連チェコとの交換留学の話が舞い込み、それを聞きつけた母はチェコ行きを志願。なんと志願は母一人だったらしい。根性のない連中だよね大チャンスなのに。いずれにせよ大学卒業後母はチェコへ旅立つ。二十歳そこそこの極東の女学生がろくに言葉もわからない東欧の未知の国へ単身飛び立つのだから、さすがの母上でも不安や恐怖を感じていたのではないかと尋ねたことがある。そのときの母の答えは衝撃的だった。なんでも母は「ゆくゆくはソ連に乗り込んで社会主義の嘘を暴いてやろうと思っていた」らしい。母の父は広島の福山で紡績工場を営んでおり、地元の名士で町長にもなった人で、職人や従業員から「てゃーしょー(大将)」と慕われ恐れられていた雷親父だったそうで、そんな祖父に一番似たのが8人兄弟の5番目に生まれた母なのだそうだ。ようするに大物なのだろう。母はその後チェコに15年ほど住み、プラハの春ソ連軍の戦車に石をなげたりしたそうだ。その後日本から来た父と二人でオーストリアに移り、そこで私が生まれたそうだ。記憶はない。赤ん坊の私を連れて帰国。だから母は60年代70年代の日本を殆ど知らない。チェコ語だけでなく英語、ドイツ語、ポーランド語、ロシア語なんかも少しできるらしい。口から生まれてきたような人で凄く社交的でリーダーシップがありいつも偉そうにしている。その後は日本で育児をしていたのだが、1989年のヨーロッパ情勢にいてもたってもいられなくなり単身チェコへ飛んだ。そしてビロード革命民主化という転換を見届けた。当時母が持ち帰った「市民フォーラム」のポスターがどれもさわやかな希望に満ちた素敵なデザインだったのが印象に残っている。その後ハヴェルが大統領になり彼の自伝を翻訳した。それが初の翻訳。読み書きより喋りが得意なコミュで、同時通訳もする。

 

 

ハヴェル自伝―抵抗の半生

ハヴェル自伝―抵抗の半生

 

 

 

 そんな二人の夫婦が、朝から晩までいろいろなことをよく話している。お互いの価値観や重視するものや信ずるものについて、歴史認識について、政治について経済について文学について、ありとあらゆることを話ている。私が大きくなってからは3人で話すようになった。そういう生活なので基本的に知的関心事の多くを共有しているし、共有していない独自の知的領域についてもお互い認識し合っているので、こういうことは父に聞く、こういうことは母に聞く、という具合になる。対話を途中で放り出すことを嫌う二人なので、相違や摩擦があれば熱くなることもあるのだが、結果的に問題が明確になり、それはそれで相互理解に繋がる。合わない部分をよく理解し合っているように見える。そんな両親の元で育った私にとって、夫婦というのは最強の知的タッグチームであり、言葉を尽くして対話し続けて教養を深め合うパートナーである。それがそのまま私の今の恋愛観、カップル観に取り入れられている。最近ようやく気がついたのだが、これはあまり一般的なカップルのあり方では無い場合もあるようだ。私にとって対話は当たり前のことであり、愛し合い共に生きる二人だからこそ話し合って突き詰めなければならない重要な問題はたくさんあると思っている。人権や法や国家について、政治や歴史や文学や芸術について、語り合うべきことはいくらでもある。そうやってお互いがお互いをより深く理解することこそ愛情の表現であり、二人が他の誰よりも親密な関係を築くための唯一の方法だと思っている。何故ならそうやって愛し合って生きてきた私の両親を、とても幸福な夫婦だと感じるから。間違いなく愛し合う二人が幸福になるための鍵がそこにあるから。

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