black_grass's diary

仕事のメモや情報収集など

第一回介助者会議開催

 介護人派遣事業所を開設してはじめての介助者会議を開催した。「介助者会議」という言葉にピンとくる者は、この業界の人間でもベテランに限られるかもしれない。

 昔、措置制度の頃、介助者会議というのは、自立生活をする障害者とその介助者たちが集まり、介助シフトや介助の方針や介助グループの運営から財務に至るまで、およそすべてを決める会議だった。その頃はどこの自立生活者も「重度脳性麻痺者介護人派遣事業」(参考脳性麻痺者等介護人派遣事業(東京都))や緊急介護人派遣やらヘルパー券やらの制度を駆使して予算をかき集め、それを介助者に分配するという財政状況だったので、介助者会議ではシビアなカネの話も多かったはずだ。時給数十円という時代もあったらしい。東京都北部の某区では一円をどう三人で割るかという議論が白熱したこともあったそうだ。そもそも雇用契約もなく雇用主が誰なのかも曖昧な状態だったので、いざ「相性が合わないので介助をやめてほしい」と利用者が申し出た時、労働者としての介助者の権利を誰がどのように保証するかという問題が生じ、結論の出ない議論を重ねる夜もあった。

 そのようなシビアな話もある一方で介助者会議は、障害者を取り巻く政治的社会的状況分析から運動の戦略を立て、理想や夢を語り合い、明日からの自立生活、介助生活のモチベーションを高め、エンパワメントするという機能も大いに果たしていた。利用者宅で開かれる会議はそのまま会食となり飲み会となり最後はみんなで雑魚寝という流れも定番だったろう。

 しかし2003年の支援費制度開始以降、障害者は事業者と契約したサービス利用者となり、介助者は皆事業所からの派遣労働者となった。障害者は煩雑な介助グループ運営から解放され、簡単に言うと「お客さん」という立場になり、介助者たちは最低限の雇用の安定と明文化された待遇を得た。制度の導入とともに全国各地にCILをはじめとする介護人派遣事業者が次々と設立され、制度の利用は爆発的に増えた。基本的にこれらは自立生活運動によって勝ち取った成果であり、享受すべき権利であり、それ自体は喜ぶべきことであろう。しかし、人は何か得たとき、必ず何かを失う。

 事業者は組織運営の円滑化合理化のために、利用者と介助者の個人的繋がりを「トラブルの因子」として捉えるようになり、徐々に制限するようになった。自立生活障害者の介助利用に関わる事象は全て、派遣事業所の管理者やサービス提供責任者が一括、一様に管理するという流れとなる。そして障害者と介助者は連絡先の交換すら禁止されるという時代に突入し、今に至る。ここ10年の間にこの世界に入った者は、基本的にはこの時代しか知らないだろう。

 今も介助者会議を開催している自立生活者はいったい全国に何人いるだろうか。間違いなく絶滅危惧種だろう。なぜなら彼らは介助者を現行制度にはそぐわない捉え方で認識しているからだ。それを一言で言うと「仲間」という言葉になるのかもしれない。

 いつまで続けられるかはわからないが、とりあえず第二回介助者会議の日程だけは決定し、無事に第一回介助者会議は終わった。そのあとみんなで近所の公園に夜桜を見に行った。新しい出会いはある。新しい時代だって来るはずだ。

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